小笠原満男 |
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2008-09-19 Fri 01:15
小笠原 満男(おがさわら みつお、1979年4月5日 - )は、鹿島アントラーズ所属のサッカー選手。ポジションはMF。以前は常陽銀行(本店:水戸市)のイメージキャラクターを務めていた。元日本代表選手。
カタカナ オガサワラ ミツオ ラテン文字 OGASAWARA Mitsuo 基本情報 国籍 日本 生年月日 1979年4月5日(29歳) 出身地 岩手県盛岡市 身長 173cm 体重 72kg 血液型 O型 選手情報 在籍チーム 鹿島アントラーズ ポジション MF 背番号 40 利き足 右足 代表歴 2002-2006 日本 53 (7) 1995年、岩手県立大船渡高等学校に入学。U-16(16歳以下)で日本代表に初招集される。 1997年、第76回高校サッカー選手権に大船渡高校の選手として出場し、ベスト16に駒を進める原動力となる活躍で大会優秀選手に選出され、注目を集める。日本代表(高校選抜)の選手として、第58回ベリンツォーナ国際ユース大会等に出場。 1998年、鹿島アントラーズに入団。4月15日、対ガンバ大阪戦でJリーグデビューを果たす。U-19日本代表に選出され、AFCユース選手権に出場し、準優勝。 1999年5月5日、対ジュビロ磐田戦でJリーグ初得点を記録。U-20日本代表として、FIFAワールドユース選手権に出場、準優勝。U-22オリンピック代表にも選出されるが、プレー中のコミュニケーションの乏しさをフィリップ・トルシエ監督に厳しく指摘され、予選途中から招集外となってしまった。 2000年のJリーグ、鹿島アントラーズが史上初の3冠を達成。この年のチャンピオンシップ(VS横浜F・マリノス)、天皇杯における活躍が評価され、MVPに選出されるなど、3冠達成の大きな原動力となった。 2001年元日の天皇杯決勝(VS清水エスパルス)では、先制ゴールと延長前半にVゴールを決めた。最終スコア3v-2。 この試合の先制ゴールは、清水ゴール前の直接FK。公式戦における21世紀最初の記念すべきゴールであったが、清水の選手が主審のプレー再開のサインを見逃していた為、DFの壁が完全に出来上がる前に蹴り込んでゴール。GKの真田は一歩も動かず、シュートを見送るのみ。清水の選手達は当然ゴールは無効だと思い込んでいた為、後に議論になったが、小笠原の判断は正しかったといえる(同様のプレーは欧州などでもよく見られるものである)。 2002年3月21日、対ウクライナ戦でA代表デビュー。22歳で日韓ワールドカップにも選出されたが、第3戦・対チュニジア戦へ6分間出場したのみに終わった。 2004年2月7日、キリンチャレンジカップ対マレーシア戦で、代表初ゴールを決める。 2005年のワールドカップアジア最終予選では、北朝鮮戦、バーレーン戦と貴重な得点をあげるなど、勝利に貢献した。 2006年2月18日、キリンチャレンジカップ対フィンランド戦に出場し、後半12分に日本陣内から約58m(滞空時間4秒)の超ロングシュートを決め、後世に残るスーパーゴールを記録した。 2006年6月、26歳で自身2度目のワールドカップとなるドイツワールドカップ日本代表に選出された。背番号は8。グループリーグの第2戦、対クロアチア戦と、第3戦の対ブラジル戦に出場したが、2敗1分で決勝リーグ進出はならなかった。 2006年8月、セリエA・メッシーナへ10ヶ月(2007年6月まで)のレンタル移籍を発表。満を持しての海外挑戦となる。当初、背番号は16が用意されていたが、背番号8のマルコ・アンドレ・ゾロ・クポロの移籍により、背番号8でプレイすることが決まった。しかし開幕直前にマルコ・アンドレ・ゾロ・クポロの残留が決まり、結局背番号16のまま開幕を迎えた。 2006年9月20日、対レッジーナ戦の後半8分、セリエAデビューを果たした。同年10月21日のエンポリ戦でセリエA初ゴールを記録。しかし、その後チームは降格危機を迎えるも出場のチャンスに恵まれることがなく、ほとんどがベンチ外という苦行を強いられた。 2006-2007シーズン終了後、チームはリーグ最下位でセリエBへの降格が決定。欧州の他のチームへの移籍を希望するもオファーがなく、2007年7月3日にはレンタル終了の形で鹿島アントラーズへの復帰が発表された。背番号は40で、過去に背負った8番を野沢拓也が背負っているため、Jリーグの規定による最大数の背番号を選択した(ただし、2008年に出場するAFCチャンピオンズリーグにおいては規定により30を超える背番号が認められないため、かつて本田泰人が背負っていた背番号「6」を着けてプレーしている)。鹿島復帰後は主にボランチとして攻守共に貢献し、優勝に貢献した。 4月2日のアルビレックス新潟とのリーグ戦で、日本・イタリアリーグ通算10シーズン連続得点を達成。 プレースタイル 元々のポジションはトップ下で得意のスルーパスを中心に味方選手にボールを供給するゲームメーカーである。最大の武器は高い技術に基づいた多彩なキックであり長短のパスはもちろんフリーキック、コーナーキックやシュートの精度の高さに表れている。 また大柄な選手ではないが体幹の強さを生かし周囲の激しいプレスをはねのけるボールキープ力、ボール奪取力に優れている。上記に加え試合の流れを読む力、有効なサイドへ展開する戦術眼にも優れているため近年は定位置を二列目からボランチに移している。精神力が強く鹿島ではゲームキャプテンも務め名実共にチームリーダーと言える存在。 銅像シュート 先述の2006年2月18日のキリンチャレンジカップ対フィンランド戦での超ロングシュートは世界中の度肝を抜いたが、小笠原はこの手のキーパーが前に出た隙を見てハーフライン付近から蹴り込む超ロングシュートには国内でも度々トライしており、2000年のJ1第1ステージ最終節でクロスバーに当てたときにトニーニョ・セレーゾ監督が「入っていれば銅像でも立ててやりたかった」とコメントしたことからサポーターの間では「銅像シュート」と呼ばれ有名であった。2001年12月16日の天皇杯での対サガン鳥栖戦でこのシュートがついにゴールに吸い込まれサポーターの大喝采を浴びた。だが銅像は立っていない。 代表歴 出場大会など AFCユース選手権 FIFAワールドユース選手権 第58回ベリンツォーナ国際ユース大会 ニューイヤーユース シドニーオリンピックアジア予選 2002年 FIFAワールドカップ KOREA/JAPAN 2003年 東アジアサッカー選手権 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ2003 2004年 アジアカップ 2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ2005 2006年 FIFAワールドカップGERMANY2006 試合数 国際Aマッチ 53試合 7得点(2002-2006) 主な受賞歴 1998年 第76回 全国高等学校サッカー選手権大会 大会優秀選手 2001年 Jリーグ ベストイレブン、AFC1月月間最優秀ゴール賞 2002年 Jリーグ ベストイレブン、ナビスコカップMVP 2003年 Jリーグ ベストイレブン 2004年 Jリーグ ベストイレブン 2005年 Jリーグ ベストイレブン 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
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